第21話 午睡のローリエローズ像

最終更新: 2018年10月19日




 どんなに名のある遺産であっても。遺跡そのものよりも、それらが日常の風景となった時の普段着の眺めの方に、より惹かれる。古代の歴史的建造物が時空を超えて現代人の営みや生活の中にうずもれ、そしてたたずんでいる、その光景と雰囲気にはいつだって心を打たれる。



 例えばギザのピラミッド。


 間近まで寄ってみると、誰だって壮大でミステリアスな気分になる。それは、もちろん。世界七不思議のひとつを目の前にしてるのだもの。それでも、それよりももっとずっと胸を打つ今ひとつのピラミッドがある。





 ギザを訪れた帰り道、タクシーの車窓から。気だるくも活気のある生活感が漂う集合住宅の合間から、石造りの三角錐がひょっこりと小さく垣間見えた。人々の生活の中にあって、もはやメトロポリスの一部になっているその姿の美しさに、そして不意に遭遇した今ここにあるリアリティに、心臓がどくんと弾んだ。






 多分、きっと。歴史的遺物の言い知れぬ存在感は、その在りようがさほど特別視されないときにこそ、そこに暮らす人々にとって人生を象るモザイクのひとかけらになるのかも知れない。


 流れる風景に乗っかって、そんな想像をした。







 例えば南仏 プロヴァンスで。紀元前に建造された水道橋 ポン・デュ・ガールの荘厳なたたずまいをよそ目に、その下をとどまることなく流れる清流。さらには、そこで何食わぬ顔でカヌーをする人々。岩場から川の中に飛び込みをしては、大声ではしゃぐ少年少女たち。





 それに例えば、南インドの海岸沿いの田舎町。悠久の7世紀の昔から残る遺跡群の中で。いつものおしゃべりの続き、新婚旅行や修学旅行。お決まりのルーティーンのいちフレームのための舞台、人生におけるハイライトにうってつけの書き割り。それは風光となった生の、一瞬一秒。






 本来の権威や機能を遠の昔に失った過去の場所と今を生きる人間が、何ひとつ違和感なく協調・共存する空間。そんな場で人々の何気なくさりげない、あるいは一世一代のドラマが繰り広げられる場面に出くわすたびに、誰も拾いはしなかった尊い落し物を、こっそりとすくい上げた気持ちになる。





 ところ変わって、想いを我がモロッコへ戻してみると。まず真っ先に、数年前に訪れたヴォルビリス(Volubilis)に記憶が到る。フェズ(Fès فـاس)、メクネス(Meknès مكناس)近郊の聖都 ムーレイ・イドゥリス(Moulay Idriss مولاي إدريس‎)からほど近い古代ローマの遺跡。


 ローマ帝国の勢力が北アフリカにまで及んでいた時期、ヴォルビリスはその西域だったと言われる。




 夾竹桃を意味するベルベル語由来の言葉、ワリリ(Oualili وليلي‎)。地元ではヴォルビリスではなく、より愛着を持ってこう呼称される。住民たちのワリリ、ワリリという声を耳にするにつれ、この植物が持つ強い毒性や、フランス語名 “laurier rose ばら色の月桂樹” という眩惑的な響きが結びつき、あるイメージが浮かんだ。ひょっとしたら、この地にも存在したのかも知れない小悪魔的な女帝の姿が。あたかも花言葉の“vie eternelle 永遠の命”が人の姿を借りて現前するかのように。


 歴史を左右するほどには鼻は高くなかったのかしら。それでもこの土地の名前の由来になるほどの美貌を備えていたのに違いない。それもぴりっと刺のある美しさを。するとほら、遥か2000年の時空の旅への誘い。広大な敷地を埋め尽くす遺跡群、古代ローマへの入り口で夾竹桃の女王が急かすように言う。さあ、タイムマシーンにお乗りなさい。モザイクが敷き詰められた豪華な館、大浴場やオリーヴオイルの石臼。杯を交わす音や歓談の声、賑やかな雑踏に香り高い黄金色のオイルのしたたり。


 こうして、訪れた者はいにしえの饗宴を夢想し、歓楽の中に五感と身をゆだねることになる。











 数時間かけて遺跡群をくまなくたどったあと、観光バスが慌ただしく出入りするのを見て現実の現代の世界に舞い戻った。せわしなく入れ代わる団体客をよそ目に、敷地内の片隅にあるカフェに向かう。そろそろ午後のお茶の時間にちょうどよい。





 遅いお昼が終わると、午後いっぱいは長いシエスタに入る。それは、“夕方”とさえ言えそうな1日の終わりかけのころまで続く。そんな時間帯の炎天下にあって、客は数人のモロッコ人のみ。それもどうやら常連のよう。清涼飲用水のペットボトルのキャップを駒にして、バックギャモンに興じる働き盛りの年代の男ども。傍ではごろんと横たわって深い眠りの中に沈んでいる猫たち。モロッコの、おなじみの、いつもの風景。そしてその紋切り型の愛おしさ。







 どんな歴史的な場所にも日常の時間が流れている。そんな当たり前の事実にまたしても感嘆しながら、遺跡を借景にした贅沢な場所に席を取った。ふうっと深呼吸。太陽が西に傾き始めた初夏の午後。草いきれ、凱旋門。ローマ時代の栄華はまさに夏草の中の夢の跡として、モロッコ男たちと共に今ここにある。


 すると忘れないでとでも言うように、先の女王が耳打ちするのだった。偉大なローマ人は耳の形でそうとわかるの。





 いつだったかシェッラー(Chellah شالة)遺跡に連れて行ってくれた友人が、本棚から美術書を引っ張り出して大理石で象られたローマ人の耳について語ってくれたことがある。現代のワリリ、目の前のすぐそこで。ゲームに熱中している親父衆の姿と、かのローマの英雄の彫刻のとんがり耳がオーバーラップする。なるほど、彼らのふくよかな耳の形はまさしく血の通った歴史的モニュメントだ。


 つかの間のタイム・トラベルを体験した今、もはや彼らがローマ人の末裔に見えてならない。またひとつ世界の秘密を知ってしまった気になり、ようやく運ばれて来た熱いミントティーをすすりながら、午後のまどろみの中であるいはひとりシュールな世界に取り残されてしまっただけなのかも知れない。









- Address -

Site archéologique de Volubilis BP. 2

50382 Moulay Idris Zerhoun

MAROC





「地球の歩き方 モロッコ '12-'13」掲載

『旅めがね vol.2 クレオパトラの鼻と夾竹桃、そしてローマ人の耳』に加筆修正



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