
フランコフォニー。この言葉には、どことなく魅力的でポジティヴな響きがある。フランス語が広く話される地域や国、いわゆる「フランス語圏」を表す言葉。

先日訪れた西アフリカのブルキナファソ、コートジボワールでは、同国人の間で外国の言語であるフランス語が交わされていた。ひとつの国家の中に多くのトライブやエスニック・グループ、言語が共存するサハラ以南のアフリカの国々ならではの現象に覚えたのは、カルチャーショックにも似た驚き。歴史の足跡を感じながら。





モロッコもフランコフォニーのひとつと数えられる。実際、ひとたびこの国に降り立ってみると、多くの人がフランス語を話すことにすぐに気がつく。観光地や公的機関ではもちろんのこと、たいていの都市部では市井の人々にもかなりフランス語が通じる。そのためかフランス語が公用語だと思われがちだけれども、モロッコの公用語はアラビア語とベルベル語のふたつ。サハラ以南とは事情が異なり、ここではフランス語はあくまで準公用語、第一外国語に過ぎない。

フランス語さえ話せればモロッコ旅には何不自由ないという印象を受けるし、それは本当のこと。けれども、あえてもう一歩踏み入ってみる。次第にもう少し違った角度からこの国のことが見えてくるはず。





職人の世界。そう、ここはアラビア語一色の世界。
言われてみれば気付かなかったことがあった。このところマラケシュでは職人難が深刻で、腕のいい職人に出会うことが非常に難しい。その遠因のひとつに、幸か不幸か国の政策として義務教育が強化されたことがあるという。
この10年ほどの間で関わってきた職人たちは偶然にも同世代が多い。当時は職人としては若手だという印象を持ったものだった。彼らはみなほとんどフランス語を話せず、アラビア語についても読み書きが決して得意ではない。大都会の出の若者である彼らなだけに、当初は意外だという所感を持ったことを覚えている。それでも今までその理由を考えたことがほとんどなかった。
出会った頃にはやんちゃの盛りだった彼ら同年代の職人たちも、そろそろ付き合いが長くなるにつれて、ふと気付けばお互いすっかり歳を重ねた。結婚し、子を授かって父になり、顔にはいくらかの皺が刻まれ、みなそれぞれ貫禄と深みを増した。そんな彼らは義務教育がまだ定着する以前のゼネレーションにあたる。






読み書きを習うよりも先に、親やまたその親、親類、あるいは地域の親方職人に幼いころから小僧修行に出させるような時代があった。フランス保護領時代のフェズ、ボウルズの小説の中の主人公が陶工職人に弟子入りしているストーリーは、そんな古き時代の雰囲気を垣間見せてくれる。
彼らはその末期を知る最後の世代。フランスからの独立後、識字教育が徹底される直前の、その束の間の期間の申し子たち。


時代は移り変わり、児童の人権の観点から丁稚奉公が良しとされなくなった昨今の風潮の中で、義務教育を終えた後に進学を望む子どもたちが増えてきた。そのためもあって、半ば大人になりかけてから職人の道を選ぶという若者がなかなかいないというのが現状であるのらしい。