金曜日のお昼にクスクスを食べる習慣がどこから来たのか知らない。ただ、イスラムの世界では金曜日お昼の集団での礼拝をとりわけて重視するため、もしかしたらそのことが関係するのかしら、とは思う。
“聖なる日”という響きが宿る金曜日は、街に漂う空気感も人々のムードもどことなく違う。ジャーマァ(モスク جامع)にジュマァ(集まる جمع)するジュマァア(金曜日 الجمعة)。金曜日という日がとにかく「集まる日」だということは、言葉がすでに物語っている。
どこまでも「分け合う」ということを美徳とする人々。いっそう気持ちが清らかなこの日には、お祈りの後にみなで集まりごちそうを分け合って食べる。その伝統と心持ちを大切にし、またそれを愉しみにもしているのかも知れない。
それで思い当たるのは、ラマダン27日目の真夜中に食するクスクスのこと。
聖なるラマダン月の最後の5日、特に27日目の夜は、「定めの夜(Laylat al-Qadr لیلة القدر)」と呼ばれる特別な日。フランス語では「la nuit du destin(運命の夜)」と訳される文字通り、この夜には神の手によって運命が書かれ、向こう1年間のすべてのできごとが決定されるという。
夜、男たちはモスクに集まり一晩中コーランを唱える。そしてこの夜にクスクスを食す家庭は少なくないはず。マラケシュではあまり聞かないけれども、少なくとも大西洋岸のあの町ではそうだった。やっぱりここでも「クスクス」「集まる」のキーワード。
都会のクスクス。田舎のクスクス。大粒、小粒にセモリナ粉、全粒粉。大衆食堂、高級レストラン、フナ広場の屋台。
いろいろなクスクスが存在する中、どこへ行ってもポピュラーなのは7種の野菜のクスクス。トマト、かぶ、にんじん、ズッキーニ、キャベツ、かぼちゃ、なす。だいたいそんなところだろうか。時季のものを享受するこの国では、季節とともに味わう野菜も移り変わる。そしてお皿の真ん中には、じっくり煮込まれて崩れるほどに柔らかい羊肉や牛肉、あるいは鶏肉が隠れている。今はまさに、羊を生け贄として神に捧げる宗教行事 犠牲祭の直後なので、羊肉を使う家が多いかも知れない。
逆に地方色が強いクスクスと言えば、何と言ってもフェズ(Fès فـاس)のクスクス・トゥファヤ(كسكسو ثفاية)。干しぶどうとキャラメリゼした玉ねぎがたっぷりかかけられたもので、このトゥファヤとお肉がメインで野菜は入っていない。
スローフード、クスクスには時間と手間が欠かせない。二階建てのお鍋 クスクシエ(couscoussier)の一階ではスープを煮込み、その蒸気を利用して二階のクスクスを何時間もかけてふかす。数十分おきに大皿にクスクスをあけては、水分と油分を丹念に手で揉み込ませ、そしてまた蒸す。これを何度となく繰り返す。油と水を含ませる工程は匙で混ぜるだけではなく手で染み込ませるというのが大きな秘訣(と信じている)。やっぱり手で握るおにぎりが美味しいように、愛情を込めて揉まれたクスクスはなかなか外では味わうことができない。
以前に暮らしていた小さな町での記憶。そこから3kmほど離れた集落には独特の慣習があった。ここの出の娘は、もしも集落の外にお嫁に出た場合、それから1年間は実家に戻ることが許されない。そして1年経ってようやく初めて里帰りをするときに、近所の人たちが山盛りのクスクスを何皿も用意して集まり、娘を1年ぶりに出迎える家族を祝福する。
集まる。そしてそこにはクスクス。
ある3月、春一番が吹きすさぶ中。頭にクスクスの大皿を乗せて、喜びの歌を歌う女性たちがミモザの木の下を練り歩いていたイメージは、その声色とともに少しかすれた映像として今でも印象に残っている。
大西洋岸、ドゥッカーラ(dokkala دكالة)地方の小さなその集落では、今思えばマラケシュでは決して見つけられないような、けれどもそれこそがそこでの等身大の日常と言うべきクスクスと出会った。にんじん農家の家では自前のにんじんだらけのもの。海で働く女性たちの家ではムール貝やマテ貝、ラグーンのとれとれの貝を使ったもの。そして、ドゥッカーラと言えばかぼちゃの代名詞。いつだってかぼちゃはふんだんに使われていた。
隣人に借金をしてでも客人をもてなせ。
この国のことわざの通り、毎週ほとんど必ず、誰かしらからクスクスに招いてもらっていた贅沢な日々。すっかりマラケシュの人間になってしまった今、つい故郷を想うように懐かしく思い出す。都会のクスクスとはどこか一風異なる匂い、そう、あのとうもろこしの粉と少々強めに効かせたターメリックの香りとともに。
- Music for couscous -
“Fais-moi du couscous”
Bob Azzamm
b saha o raha بالصحة والراحة
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