第37話 魔術師と蒼い道しるべ

最終更新: 2019年5月27日




 突き抜けるような青い空。果てしなく続く砂丘。


 こういったイメージ群に導かれて、この国を訪れたという人は少なくないかも知れない。思い返してみると。実のところ突き詰めてみれば自分自身もそうだったかも知れないと、不思議な成り行きを思い出す。





 学生時代、映画研究サークルの部室で開かれた夜の上映会。「光で書く」というドキュメンタリーを観たときの場の雰囲気や空気感は、今でもわりと鮮明によく覚えている。


 映画では、光の魔術師という異名で名高い撮影監督の巨匠 ストラーロが、サハラ砂漠の澄み渡った大空を実際と同じくらいに青く、砂を実物ほどに橙色にと写し取るための試行錯誤と追求を重点的に追っていて、その色の世界の美しさにすっかり見入った。


 ややマイナーな存在としてキャンバスの隅の隅に位置していたあばら屋のような部室は、小さな部屋ごと夜空を遥か超えて、いつしか異国の果てまで飛んでしまっていたことだろう。





 思い出せる限りで、おそらくこの瞬間こそがモロッコという不思議の国とのファースト・コンタクトだったと思う。


 ドキュメンタリーを観た直後には、気付けば映画学校の夏のワークショップ参加の手続きをしていた。この映画を配給している会社は、日本国内はもとより世界中から実験的な映画を集めている。と同時に、アヴァンギャルド、アンダーグラウンドといった言葉が枕詞の「映像研究所」という名の映画学校も運営しているのだ。





 ワークショップのグループ制作で同じ班になった同い年の男の子が、奇遇にもその夏にモロッコへの旅を経験した。旅の直後、彼の両手に描かれていたレース模様の赤茶色のタトゥー。本来は女性がするものなので今思えば微笑ましいことだけれども、その時に目に飛び込んできたヘンナのエキゾチックな美しさといったらなかった。


 日常の小さな変革は、また次の変化を呼ぶのらしい。この翌年からは通年のコースに入学して、大学と映像研究所のダブルスクール生活を送ることになった。

 

 あれから気付けば、まもなく四半世紀? ここのところ、この映画学生時代の縁が何の前触れもなく次々と舞い戻ってくるような、不思議な出来事が続いた。


 ひとつ目は、卒業後も劇映画の分野で映像の道を進んでいた同期生との再会。彼女が関わる作品の中でマラケシュおよびサハラ砂漠でのロケがあるとのことで、ちょっとしたお手伝いとして声をかけてもらったのだ。






 撮影クルーの中には「シェルタリング・スカイ」を観た方は少なくなかったにしても、特に公開時に映画館でリアルタイムで観たという助監督の話が「今回の撮影もその時にすでに定められていた運命だったのだろうか」と及んだ時には、自然にうなずく気持ちだった。人生という壮大で緻密なシナリオ、神様による超大作“マクトゥーブ”





 それから数ヶ月後。またしても別の同期からの報せ。当時から際立った映像美を追求していた彼の作品が、モロッコ北部の町 シャウエンで上映されるという。思いもよらないサプライズに心踊らせ、すぐに切符を取って飛んで行った。


 信仰と幻想、人間と自然(神)のはざまに儚く流れる現実を描いた作品を鑑賞するには、青い秘境とも言われるシャウエンは絶好のロケーション。贅沢な環境と、ふたつ目の再会。















 虚実の境界があいまいで、既知と未知の狭間にあるような街 マラケシュ。そんな狡猾なマラクシたちとの日常にもすっかり慣れてしまっただろうか。とんでもない、日々は驚きの連続に溢れているのだから。そして、人生のごく初期の段階に敷かれた布石が今になって、それもこの街において俄かに意味を帯びてくることには毎度のこと度肝を抜かれている。




 サラーム・アライクム!

 アライクム・サラーム、おお、サイヤードか。ハーキムが叫んだ。久しぶりだな。

 そのとおりです。しばらく死んでおりましたから。今は生き返っています。





 今宵は満月。


 南と北、砂漠と山合い。奇異かな、奇異かな。いずれも満月の日の出来事だったふたつの再会を回想しつつ、ミントティーでもすすりながら月の出を待つことにしよう。






- Film -

“光で書く 撮影監督ストラーロ”

“アルビノの木” 金子雅和



- Book -

“モロッコ幻想物語” ポール・ボウルズ



- Music -

“Music of Morocco” Paul Bowles





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